人気ブログランキング | 話題のタグを見る

雅郎の花鳥風月

myamazaki.exblog.jp
ブログトップ
2011年 04月 03日

隅田川から銀座の路地裏

この日私は、永く通勤していた日比谷線八丁堀駅に降り立ちました。向かったのは、
隅田川を入船町から対岸の佃島へ渡る佃大橋。見馴れた街中を歩いて行くと、佃大橋のたもとの人目に着かない場所にこんな石碑が有ります。
1645年天保2年、ここに大川を渡す佃島渡船が始まった事を記す石碑が有ります。
隅田川から銀座の路地裏_c0217255_15305317.jpg

1964年昭和39年に佃大橋が完成し、永き歴史を持つ渡船は廃止となりました。それは私が単身東京へ出て来た一年前の事でした。

橋の途中に取り付けられた歩行者用の急な階段を上がり橋の上に出てみます。
そこから見られる大川上流方向の眺めです。遠くスカイツリーも見えています。
隅田川から銀座の路地裏_c0217255_1538735.jpg


やはり鳥が居ないと寂しいと思いカモメを入れて見ました。
隅田川から銀座の路地裏_c0217255_15392764.jpg


橋を元来た方へ戻り、明石町へと歩き、明石小学校前へ来ました。
残念ながら明石小学校の文化財とも言えるその建物は取り壊されてしまいました。
関東大震災後に復興小学校として建てられたのがその校舎でした。
工事中の小学校と通り一つ隔てた所に聖路加国際病院が有ります。
写真はその後ろ姿を写しています。
隅田川から銀座の路地裏_c0217255_15461022.jpg

この聖路加病院は、私が東京で暮らし始め今日まで大変お世話になっている病院です。
あまり良い事では有りませんが、今までに短期の入院が4回も有りました、その折々に感じたのは、キリスト教精神で運営されるこの病院のスタッフから受ける暖かさや優しさでした。

それでは病院の表へ回ってみましょう、此処には聖路加ガーデンと呼ばれる緑のスペースが有ります。
その中にヨーロッパ風の可愛い建物が有り、トライスラー記念館と呼ばれています。
隅田川から銀座の路地裏_c0217255_15591556.jpg

隅田川から銀座の路地裏_c0217255_15593352.jpg

聖路加病院はこのルドルフ・トライスラー宣教師医師によって1902年に創立されたとされます。

3月10日の東京大空襲も此処は爆撃されずに残り、この建物は今も病棟として使われています。
隅田川から銀座の路地裏_c0217255_1645362.jpg
隅田川から銀座の路地裏_c0217255_165486.jpg


それでは聖路加病院を後にして築地から銀座方面へと歩きます。
この辺りの路地裏を覗くと、近代的な表通りとは正反対の古い建物や風物が残っています。
こんな料理やさんがサラリーマン相手にランチを提供して居ます。
隅田川から銀座の路地裏_c0217255_1693430.jpg

ランチと言えどもやはり1000円位しているようです、私はもっぱら700円止まりでした。

ふと横道に目をやるとコブシが咲いています、その前に有る焼き鳥やの看板がめに入りました。
「ねのひ」と言うのは我が故郷の地酒です、懐かしくてついシャッターを切りました。
隅田川から銀座の路地裏_c0217255_1614491.jpg

この焼き鳥やの並びにこんな物を売る店が有りました。
隅田川から銀座の路地裏_c0217255_1616381.jpg
隅田川から銀座の路地裏_c0217255_16161589.jpg

昔懐かしい物を売っていますが、一日にどれだけ売れるんでしょう。地代の高い銀座でやって行けるのか?とよけいな心配をしてしまいます。

昭和通りを越して銀座4丁目へと入って来ました。
ここにもコブシが咲いています。手前が王子製紙の本社、その奥が銀座三越の後ろ姿です。
隅田川から銀座の路地裏_c0217255_16222667.jpg


更に数寄屋橋方面へ足を進め、この散歩も終りに近づきました。
日本基督教銀座教会の裏側を覗いて見ました。煌びやかな街の表の顔とはまるで違う世界が隠される訳でもなく、此処には有りました、あえてモノクロにしました。
隅田川から銀座の路地裏_c0217255_1628346.jpg


長い散歩にお付き合いして下さり有難う御座いました。
歴史ある日本基督教銀座教会については、又の機会が有りましたらご案内いたします。

by yamazaki-masao | 2011-04-03 16:39


<< 江戸川堤のサイクリングロード      ネモフィラの青い世界 >>